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  • 2016.03.26 Saturday

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    安いプライド

    • 2016.03.26 Saturday
    • 18:07
     安いプライドより時間が大事なのが今なので、いろいろ一気に整理中。
     ああでもしかし、ちんけなサイトを閉鎖するにも、安いプライドが傷ついて痛い。
     さよなら、くっだらない電子の小さな箱庭達よ。


     それはさておき、無頼寿さんには無沙汰やら失礼やらを詫びとかなきゃだなあ。

     

    みっしょん。

    • 2015.11.23 Monday
    • 08:56

     最近、自分が余計な口を挟まない方が物事がうまくまわるんじゃないかなと思う時が多々ある。
     それはまあ、あきらめだったり衝突の回避だったり、時間の消費(浪費かどうかでなく)だったりする。
     自分が責任者ならそこは絶対認めないな、って思うところもあえて流して、傍観するときもある。
     たとえば自分が決定権をなんらかの形で行使したとしても、別にいい結果がでるとは限らないし、それだったら人に任せても同じだと、そんなふうに思う。

     知っている人に、こういうセリフを使う人がいるという噂を聞いたことがある。

    「私は○○大学を卒業していて、あなたより基本的に優秀なのだから、あなたの意見より私の意見の方が正しいに決まっている」

     うん。この人はすごい。
     これは事実ではないかもしれないけれど、実はある種の真理に触れている。

     どれほど論議を尽くしても、どれが正しいのかが結果が出るまでわからない場合というのは、実際によくある。
     そうするとどうなるか。
     成功経験が多い人の意見が取られる。
     だから上のものすごいセリフは、割と正しい。このセリフをその時に吐ける人はおそらくはそれなりに、成功者だろうから。

     とはいえ、私はITの業界にいるので、古い人の経験なんて瞬殺で役に立たなくなることを知っている。他の業界ならまだしも、仕事の仕方が根本から変わっていくのがIT業界だ。
     だから、何が正しいかはたいていの場合はよくわからない。

     それでも考えることやめるわけにはいかないし、最近は次の2つを重視して判断することにしている。
     目的と成功確率だ。

     ただこれ、面白くて、「成功することが目的ではない」ってなると、路頭に迷うことになる。
     たとえば、自分より若い人間が、とりあえず失敗するのもいいかな、って思う時がある。
     まぁちょっと怖いのが、私が「これは失敗だな」って思っている結果に、ほかの人が満足している感を出してる時だ。これは怖い。
     そもそもの判断基準がずれている。
     いろんな人がいるんだから、そのあたりは難しい。


    『経済学的思考のセンス』

    • 2015.09.22 Tuesday
    • 20:01
      中身的には、同著者の『こんなに使える経済学』の方が面白かったかなと思ったんだけど、一箇所だけすごく引っかかるところがあったので、抜粋。


    IT革命と賃金格差

    ただし、この分析にはパソコンが賃金を高めているのではなく、優秀な人がパソコンを使う仕事を仕事をしているのである、という有力な反論もある
    (中略)
    しかも、その傾向は高学歴労働者に特徴的に現れる。

    筆者たちの研究によれば、低学歴の労働者の場合には、パソコン利用が賃金引き下げの要因とさえなっていることが示されており、IT革命は学歴間賃金格差拡大の要因となっていることを示唆している。

     はたして「ITは人を幸せにするか?」というような命題は、さまざまに考えられているのだけれど、結局の所は、幸せな人を増やすし、不幸な人も増やす、というところが結論になるのだろうと思う。

     上記の引用をもうちょっと具体的に言い換えるなら、

    「ITを利用して仕事をする人の賃金は高くなるし、ITに利用される仕事をする人の賃金は安くなる」

    ということだ。
     ITをロボットという言葉に置き換えると、半世紀前くらいに話されていたことと、根本的には同じだなという印象を受ける。

     古くは産業革命の時代から、言ってしまえばもっともっと前から、人の貧富に関しての状況はあまり変わっていないということだろう。

     富者はより富み、貧者はより貧す。


     使う側か、使われる側かだ。







    追記

     スマホの課金ゲーに人生を喰われている人たちは、もちろんITに使われている側にしか見えない。
     自分の自由意志で使用しているからと言って、誰かに使われていないかどうかなんて、わかりはしない。


    『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー

    • 2015.05.05 Tuesday
    • 13:05
     訳者の黒原敏行氏は熟練の翻訳者で、訳文はマッカーシーの文体をよく表現しているのだろうが、それにしても最初は慣れるのに時間がかかった。
     英語的な日本語文だ。
     だいたいザ・ロードなんて邦題にするなら英語のままの方がいいんじゃなかろうかと思うところだが、そこらへんは出版社の方針か商業戦略次第だろう。
     そんな揶揄をしてみるものの、3ページ目くらいまで読み進めた段階でもう作品世界に引き込まれるので何の心配もない。

     この作品は、子持ちの方にお勧めする。
     いや、やっぱりお勧めしない。
     この作品には絶望が充満していて、まるで逃げ場がない。本当にどこにも逃げ場がないので、子持ちの方には読むのに覚悟が必要だ。

     望むと望まざるとに関わらず、多くの人には親になる時が来る。
     なんだか自分の子のようなものがそこにいて、自分がたぶんそんなのの親らしいということを悟ると、スイッチが入る。
     本人がそれがあったかどうかも知らない、もちろん見も知らないスイッチを、どこかの誰かがニヤニヤしながら入れてしまう。本人にもそのありかはわからないのに。
     もしそのスイッチが入ってる気がするならば、あなたは人の親だ。

     そのスイッチが入っている人は、この作品を読むのに覚悟が必要だ。主人公は男親なので男性はもっと要注意。

     スイッチが入っていない人にとっては、作品の魅力が少々減じることだと思う。できれば、スイッチが入ってから読むといいが、入る前の方が気楽に読めると思うから、読んでしまうのもいい。

     

    日本がダメなのは?

    • 2015.05.04 Monday
    • 13:01
     日本の政治がダメなのは、投票に行かない現役世代が多すぎるせいだ。
     年寄が多いからじゃあない。
     
     ツイッターやらブログやらで政治家を馬鹿にした発言をしながら、投票に行ったこともないやつなんてのは、ただの口だけ人間だ。
     投票に行かない人間に政治を語る資格はない。
     一切ない。
     
     ネットで口先だけの陳腐な言論振り回したところで、なんの影響力もない。
     誰がおまえの愚痴をいいかんじに整形しただけの文章を信じるんだ。そんな馬鹿がどこに転がっている。
     
     だが投票に行けばとりあえず1票だ。
     確実にカウントされる。
     実効性があり、有効だ。
     
     うだうだ言ってないで投票に行け、このろくでなしどもが。

    行間を読め! というのは傲慢なのか

    • 2015.04.26 Sunday
    • 23:40
     いわゆる「行間を読めない」人は、思いのほか多くいる。
     俺は文系なので、行間なんて読んで当たり前、というか行間を読むのは文章を読むときの楽しみの一つだろと、そう思う。
     
     しかし事実、文章の行間を読めない人は、思っているよりもたくさんいる。
     そもそも、ある程度の分量以上になると読めないという人もなかなかたくさんいるわけで……。
     
     行間を読むというのはつまり、文章で明確に記述されていないところを察するということだ。
     堅苦しく言い換えると、読解力ということになるだろう。
     端々にある小さな表現などを集積的に分析して、直接的な記述はされていないながらも帰結される結論のようなものを自力で導き出す力、とも言えるかもしれない。
     表現手法に関して言うなら、暗喩的もしくは婉曲的な比喩表現をリアルな実感として感じられるか、その意味を理解したうえで面白いと思えるか、という問題とも共通する部分がある。
     まとめて丸めてひっくるめて、読解力と呼ぶことにする。
     
     この能力は、個人差がかなりある。
     中学校の国語のテストなどで、勉強なんてまったく必要のなしに満点近くを取る生徒と、テストの問題文の意味さえ正確に理解できない生徒がいるというように。
     当然年齢でもばらつきがある。
     十代前半がいわゆるローティーン向けの文章作品を読み、小学生が児童書を読む、というように。その内容もさることながら、表現手法の面での差別化もされている。ちょっと難しい文章か、たいていの小学生が理解できるような簡単な文章か、というように。


     そこで自分の文章を顧みてみるに、なんていうか「行間なんて読んで当たり前」という文章を書いていることが多い。
     それどころか、普段のしゃべり方まで、「言外の意味を取ってくれて当たり前」「細かい説明をしなくてもわかって当たり前」というふうになっていることに気づく。

     だが、実際それでいいだろうか。
     この「わかって当たり前」というのはなんというか、文系の自分からすると高尚とか高水準とか、なんだか良い印象ばかりもってしまうところがあるのだが、一般的にはそんなことはないはずだ。
     誰にでもわかりやすい文章を書く、誰にでもわかるようにしゃべる、というのがコミュニケーションの基本のはずだ。


     だから、「なんだよ。行間ぐらい普通に読めよ」と思うのは、たぶん傲慢なんだと思う。
     この傲慢さがなければ、文芸などがおそらく成立しなくなるという面もあるにしても。


     このコミュニケーションの水準において、大衆小説や娯楽小説と言われる分野と、文芸や文学と言われる分野では、深い谷があるのだろう。

     わかりやすければいいというものでもないと個人的には思うが、万人にわかりやすいように文章を書くことは大事なことだと思う。

    借金の話

    • 2015.04.26 Sunday
    • 23:05

     私は、保守的なのか堅実派なのか、おそらくはその両方でついでに小心者なのだろう、借金をするのが嫌いだ。単純な借金だけではなくて、長期ローンも好きではない。
     なので、この年で現在は一切ローンなしだ。
     
     ただ最近、会計とか経営とかをかじるようになって、「借金=悪いこと」という固定観念が音を立てて崩れ始めた。
     最近学んでいるのは企業の資産運用についてなので、個人とは立ち位置が異なる部分も多いのだが、根本的な考え方は大きく違わない。

     例えば株式会社は、自前準備した場合の資本金以外は基本的に借金で運用されている。株式というのは、言葉としては「投資」を受けている状態だが、言い方を変えれば会社を運用する資金を借り入れしている形だ。そしてさらにその株式を元手に行う事業に評価をもらって、銀行からも融資を受ける。
     なんだかんだ言って、普通の株式会社というのは金を借りてばかりだ。
     資本を使って、商品を売って代金を回収して運用のお金を払った残りが利益になる。利益が多ければ株主に還元する。会社がうまく回れば株価が上がり、株主の還元にもなる。
     そういうふうに考えると、なんだか不思議なもんだ。

     借金が多い会社は借金ができる信用のある会社、なんて言い方もあるくらいなので、「借金=悪」という短絡は成り立たないわけだ。
     よく言えば、他人の金を商売をやって運用している、ということになるわけ。
     お金というものは、どこかにおいたままだと単に死蔵されているということになる。
     お金が貯まることはいいこと、という考え方ももちろん正しいが、しかし例えば仮に世の中にあるお金がほとんど貯金に回ったらどうなるか。誰も商売ができなくなってしまう。だから、ある程度は「金は天下の回り物」でなくてはならない。
     まあこれは、経済の話だけれど。
     その観点から言えば、資金を借りて商売をしている人は、取引をしてお金を回す、つまり経済を回すことに貢献しているということになる。例え会社として赤字をだしても、だ。


     翻って個人の話だ。
     大前提だが、借金がないに越したことはない。十二分の収入があれば、借金をしなくても個人や家庭は普通に回していける。
     しかし、例えば車の購入などになるとたいていの人はローンを組む。貯蓄があり、即金で払える人でもローンを組むことが多い。

     これは会社経営のセオリーで「支払はできるかぎり遅らせろ」っていうやつと同じ考え方だ。
     今すぐ100万円を支払って、手元から100万円がなくなるより、5年かけて115万円払った方がいいということだ。
     つまり、手元に残る現金を確保しておくように行動する、キャッシュフローを重視した行動だ。

     では逆に、ローンを組まずに車を買うにはどうしたら良いか。手元に残る現金がなくなっても良ければ、現金を使って買えばいい。
     ただし手元に満額を払えるお金がなければ、どうなるか。お金がたまるまで車は買えないと言うことになる。
     しかし大都市圏ではともかく、ちょっとでも田舎なら、車がないと通勤に差し障りが出ることはままある。
     その場合にはローンを組んで車を買うしかなくなるだろう。
     これは借金だが、同時に働くための投資だ。通勤の問題をクリアすることで、収入が高まる可能性を上げている。

     また例えば、学生が受ける奨学金はもちろん借金になる。
     なぜ借金をしてまで学校へ行くのか。
     それは夢とか目標を実現するため、とかそういうこともあるだろう。だが現実的なことを言えば、お金を借りてでも学歴を作っていた方が、将来において金銭的に得をするからだ。
     仮に大学卒業時に200万円の借金を背負うことになっても、生涯年収で大学を卒業しなかったときに比べて200万円多く稼げればそれで金銭的な帳尻は合う。
     これはわかりやすい、自分の将来のための借金で、自分の将来への投資だということだ。

     つまり個人についても、
    「返せる借金は自分の人生への投資」
    と言うことができるだろう。
     もちろん、自分の将来性というものを信じて努力することができなければ、借金はただの借金だ。
     当然ながら借金には返済の義務と期限があり、着実に返していかなけらばならない。
     ちゃんと活用もできずに浪費してしまい、返す当てがなくなってしまえば、完全なマイナスにしかならない。

     ときどき、自分にプレッシャーをかけるために高い買い物をした、なんてことを口にする人がいる。
     これは裏を返せば、自分は高い買い物に見合った仕事をして稼ぐことができる、という自負があることを示している。
     あまり堅実とは言えないがしかし、例えば大好きな高級車を購入して、それを愛でながらローンをきっちり返すために仕事に精を出す、というような生き方も別に悪くはない。
     金さえ返せるならば、幸せを感じた者の勝ちだ。


     繰り返すが、借金なんてない方がいいに決まっている。
     ローンだって即金で払う余裕があるなら必要ない。
     しかし借金を、「自分の人生への計画的な投資」とするのであれば、特に問題もない。
     例えローンの利子で多めに金を失ったとしても、その分で他の何かを得ていれば、問題ないのだ。


     ――というように、最近はちょっと私の個人的な考え方が変わってきた。
     もちろん、株式会社と個人の資金運用をごっちゃにしてはいけないことも知っている。
     今も、借金は嫌いだ。
     ただ、「借金=悪」というのは、違うと思うのだ。
     ひどく前向きに考えるのなら、「利子を払ってチャンスを買う」と考えるのも悪くない。……かもしれない。

     
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