Evernote にお願いしたいこと 2017(つまり不満な点)

  • 2017.02.01 Wednesday
  • 20:44

 Evernoteを気に入っているので、Evernoteの有料コース「プラス」の契約をしている。
 主にパソコンでの文章作成&保管に使っている。
 パソコンのデスクトップアプリで使いにくい点がいくつかあるので、挙げておきたい。

 

1.行間が指定できない。
 フォントを変えるという回避方法があるが、それはごまかしているだけ。
 スタイルシートとかそういうこととも違う。プレーンテキストでだ。
 さほど難しい機能とも思わないのだが、まったく実装されないのが哀しい。意図的なシカトか。
 長文読みにくいぜー。

 

2.文章を閉じたときのカーソル位置(最終変更箇所など)の記憶機能がない
 覚えろよ。それくらい。
 長文に対して開いたり閉じたりして作業するとき、非常に不便。
 Evernoteの開発陣は、長文を読んだり書いたりしないのだろうか。

 

3.スタックの作り方がわかりにくい
 単純に、ユーザーインターフェイスの問題。
 これがわからないまま「Evernoteって使いにくいな」って思ってしまう人もいるかも。
 自分自身、たまーにしか作らないので、作り方を忘れていて右往左往。

 

4.Ctrl + Z の挙動が不自然なときがある
 すべての空白行が削除されたり、情報の戻り方が変だったりする。
 ペーストとアンドゥ関連の挙動はちょっと変。仕様と言えば仕様なのかもしれないが……。

 


以下、あったらいいのにって機能。問題点ではない。


1.再起動時のログイン必須設定がほしい
 OSの自動スリープみたいなのがほしくなる。セキュリティの関係上。
 ログインを保持しないモードが欲しい。

 

2.スタック、ノートブック単位でのロック機能
 これもセキュリティ関係。
 たとえデスクトップに開きっぱなしだったとしても、中身は簡単に見れないとか。
 ちょっと神経質ではあるけど、でも超重要なコア情報、あるよね?
 簡単なやつでいいからつけてくれないかなぁ。

 


 Evernoteのおかげで、一太郎の出番がない。
 一太郎のクラウド対応はすでに失敗しており、たぶん二度と再起動されないだろう。
 一つの拠点でじっくり文章を作る人にとっては、クラウドは必要ない。
 とはいえ、Dropboxとの簡単連携機能とかくらいは、つけてもいいんじゃないかなと思う。
 まぁ、「書院」と「文豪」をあわせたくらいのシェアが取れればいいんです! とかジャストシステム思ってそうだけど。

 ということで、頑張れEvernote! 簡単に身売りするじゃねーぞ!

 

安いプライド

  • 2016.03.26 Saturday
  • 18:07
 安いプライドより時間が大事なのが今なので、いろいろ一気に整理中。
 ああでもしかし、ちんけなサイトを閉鎖するにも、安いプライドが傷ついて痛い。
 さよなら、くっだらない電子の小さな箱庭達よ。


 それはさておき、無頼寿さんには無沙汰やら失礼やらを詫びとかなきゃだなあ。

 

みっしょん。

  • 2015.11.23 Monday
  • 08:56

 最近、自分が余計な口を挟まない方が物事がうまくまわるんじゃないかなと思う時が多々ある。
 それはまあ、あきらめだったり衝突の回避だったり、時間の消費(浪費かどうかでなく)だったりする。
 自分が責任者ならそこは絶対認めないな、って思うところもあえて流して、傍観するときもある。
 たとえば自分が決定権をなんらかの形で行使したとしても、別にいい結果がでるとは限らないし、それだったら人に任せても同じだと、そんなふうに思う。

 知っている人に、こういうセリフを使う人がいるという噂を聞いたことがある。

「私は○○大学を卒業していて、あなたより基本的に優秀なのだから、あなたの意見より私の意見の方が正しいに決まっている」

 うん。この人はすごい。
 これは事実ではないかもしれないけれど、実はある種の真理に触れている。

 どれほど論議を尽くしても、どれが正しいのかが結果が出るまでわからない場合というのは、実際によくある。
 そうするとどうなるか。
 成功経験が多い人の意見が取られる。
 だから上のものすごいセリフは、割と正しい。このセリフをその時に吐ける人はおそらくはそれなりに、成功者だろうから。

 とはいえ、私はITの業界にいるので、古い人の経験なんて瞬殺で役に立たなくなることを知っている。他の業界ならまだしも、仕事の仕方が根本から変わっていくのがIT業界だ。
 だから、何が正しいかはたいていの場合はよくわからない。

 それでも考えることやめるわけにはいかないし、最近は次の2つを重視して判断することにしている。
 目的と成功確率だ。

 ただこれ、面白くて、「成功することが目的ではない」ってなると、路頭に迷うことになる。
 たとえば、自分より若い人間が、とりあえず失敗するのもいいかな、って思う時がある。
 まぁちょっと怖いのが、私が「これは失敗だな」って思っている結果に、ほかの人が満足している感を出してる時だ。これは怖い。
 そもそもの判断基準がずれている。
 いろんな人がいるんだから、そのあたりは難しい。


『経済学的思考のセンス』

  • 2015.09.22 Tuesday
  • 20:01
  中身的には、同著者の『こんなに使える経済学』の方が面白かったかなと思ったんだけど、一箇所だけすごく引っかかるところがあったので、抜粋。


IT革命と賃金格差

ただし、この分析にはパソコンが賃金を高めているのではなく、優秀な人がパソコンを使う仕事を仕事をしているのである、という有力な反論もある
(中略)
しかも、その傾向は高学歴労働者に特徴的に現れる。

筆者たちの研究によれば、低学歴の労働者の場合には、パソコン利用が賃金引き下げの要因とさえなっていることが示されており、IT革命は学歴間賃金格差拡大の要因となっていることを示唆している。

 はたして「ITは人を幸せにするか?」というような命題は、さまざまに考えられているのだけれど、結局の所は、幸せな人を増やすし、不幸な人も増やす、というところが結論になるのだろうと思う。

 上記の引用をもうちょっと具体的に言い換えるなら、

「ITを利用して仕事をする人の賃金は高くなるし、ITに利用される仕事をする人の賃金は安くなる」

ということだ。
 ITをロボットという言葉に置き換えると、半世紀前くらいに話されていたことと、根本的には同じだなという印象を受ける。

 古くは産業革命の時代から、言ってしまえばもっともっと前から、人の貧富に関しての状況はあまり変わっていないということだろう。

 富者はより富み、貧者はより貧す。


 使う側か、使われる側かだ。







追記

 スマホの課金ゲーに人生を喰われている人たちは、もちろんITに使われている側にしか見えない。
 自分の自由意志で使用しているからと言って、誰かに使われていないかどうかなんて、わかりはしない。


『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー

  • 2015.05.05 Tuesday
  • 13:05
 訳者の黒原敏行氏は熟練の翻訳者で、訳文はマッカーシーの文体をよく表現しているのだろうが、それにしても最初は慣れるのに時間がかかった。
 英語的な日本語文だ。
 だいたいザ・ロードなんて邦題にするなら英語のままの方がいいんじゃなかろうかと思うところだが、そこらへんは出版社の方針か商業戦略次第だろう。
 そんな揶揄をしてみるものの、3ページ目くらいまで読み進めた段階でもう作品世界に引き込まれるので何の心配もない。

 この作品は、子持ちの方にお勧めする。
 いや、やっぱりお勧めしない。
 この作品には絶望が充満していて、まるで逃げ場がない。本当にどこにも逃げ場がないので、子持ちの方には読むのに覚悟が必要だ。

 望むと望まざるとに関わらず、多くの人には親になる時が来る。
 なんだか自分の子のようなものがそこにいて、自分がたぶんそんなのの親らしいということを悟ると、スイッチが入る。
 本人がそれがあったかどうかも知らない、もちろん見も知らないスイッチを、どこかの誰かがニヤニヤしながら入れてしまう。本人にもそのありかはわからないのに。
 もしそのスイッチが入ってる気がするならば、あなたは人の親だ。

 そのスイッチが入っている人は、この作品を読むのに覚悟が必要だ。主人公は男親なので男性はもっと要注意。

 スイッチが入っていない人にとっては、作品の魅力が少々減じることだと思う。できれば、スイッチが入ってから読むといいが、入る前の方が気楽に読めると思うから、読んでしまうのもいい。

 

日本がダメなのは?

  • 2015.05.04 Monday
  • 13:01
 日本の政治がダメなのは、投票に行かない現役世代が多すぎるせいだ。
 年寄が多いからじゃあない。
 
 ツイッターやらブログやらで政治家を馬鹿にした発言をしながら、投票に行ったこともないやつなんてのは、ただの口だけ人間だ。
 投票に行かない人間に政治を語る資格はない。
 一切ない。
 
 ネットで口先だけの陳腐な言論振り回したところで、なんの影響力もない。
 誰がおまえの愚痴をいいかんじに整形しただけの文章を信じるんだ。そんな馬鹿がどこに転がっている。
 
 だが投票に行けばとりあえず1票だ。
 確実にカウントされる。
 実効性があり、有効だ。
 
 うだうだ言ってないで投票に行け、このろくでなしどもが。

行間を読め! というのは傲慢なのか

  • 2015.04.26 Sunday
  • 23:40
 いわゆる「行間を読めない」人は、思いのほか多くいる。
 俺は文系なので、行間なんて読んで当たり前、というか行間を読むのは文章を読むときの楽しみの一つだろと、そう思う。
 
 しかし事実、文章の行間を読めない人は、思っているよりもたくさんいる。
 そもそも、ある程度の分量以上になると読めないという人もなかなかたくさんいるわけで……。
 
 行間を読むというのはつまり、文章で明確に記述されていないところを察するということだ。
 堅苦しく言い換えると、読解力ということになるだろう。
 端々にある小さな表現などを集積的に分析して、直接的な記述はされていないながらも帰結される結論のようなものを自力で導き出す力、とも言えるかもしれない。
 表現手法に関して言うなら、暗喩的もしくは婉曲的な比喩表現をリアルな実感として感じられるか、その意味を理解したうえで面白いと思えるか、という問題とも共通する部分がある。
 まとめて丸めてひっくるめて、読解力と呼ぶことにする。
 
 この能力は、個人差がかなりある。
 中学校の国語のテストなどで、勉強なんてまったく必要のなしに満点近くを取る生徒と、テストの問題文の意味さえ正確に理解できない生徒がいるというように。
 当然年齢でもばらつきがある。
 十代前半がいわゆるローティーン向けの文章作品を読み、小学生が児童書を読む、というように。その内容もさることながら、表現手法の面での差別化もされている。ちょっと難しい文章か、たいていの小学生が理解できるような簡単な文章か、というように。


 そこで自分の文章を顧みてみるに、なんていうか「行間なんて読んで当たり前」という文章を書いていることが多い。
 それどころか、普段のしゃべり方まで、「言外の意味を取ってくれて当たり前」「細かい説明をしなくてもわかって当たり前」というふうになっていることに気づく。

 だが、実際それでいいだろうか。
 この「わかって当たり前」というのはなんというか、文系の自分からすると高尚とか高水準とか、なんだか良い印象ばかりもってしまうところがあるのだが、一般的にはそんなことはないはずだ。
 誰にでもわかりやすい文章を書く、誰にでもわかるようにしゃべる、というのがコミュニケーションの基本のはずだ。


 だから、「なんだよ。行間ぐらい普通に読めよ」と思うのは、たぶん傲慢なんだと思う。
 この傲慢さがなければ、文芸などがおそらく成立しなくなるという面もあるにしても。


 このコミュニケーションの水準において、大衆小説や娯楽小説と言われる分野と、文芸や文学と言われる分野では、深い谷があるのだろう。

 わかりやすければいいというものでもないと個人的には思うが、万人にわかりやすいように文章を書くことは大事なことだと思う。

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